“アイツのカミさん”の代理人による短期集中連載

前回掲載の内容

極私的「ランダムMG5」×10連発!

“アイツのカミさん”の代理人


 ご本人の承諾も得ずに、勝手に“代理人”を名乗って短期連載させていただきましたが、 “アイツのカミさん”も復活された今日この頃、私の拙いエッセイは今回が最終回です(涙)。 短い間でしたが、ご愛読ありがとうございました(礼)。 で、最後ということで、言いたいこと・言い忘れたこと・言わなくてもいいこと・言ってもしょうもないこと等々、 まとめて10連発ぶっ放して、後くされ悪く消えようかと思います。
これで終わりですから、我慢してお付き合いください(でも、大長編!)。

 さて、タイトル──「マンダムMG5」って? え、MG5は資生堂だろ? 銀と黒のダイヤのチェック柄で、団次郎 (現在は団時朗と改名)とポインター(犬)がCMに出てた……? ──と我らの世代ならいぶかることでしょう。 でも、よく見てちょうだい。「マンダム」じゃなくて「ランダム(random:手当たりしだい)」です。 そして、昨今、「MG5」は《マジでキレる5秒前》の頭文字だそうで、まあ、よくあるテーマですが、 今回は、『街で出くわした、最近ハラの立つこと特集』でございます。
前置きは早めに切り上げて、思いつくまま、さっさと行ってみよう!


 

【1発目:ウインカーを出さない】

 いまさら何をかでしょうが、曲がるとき・停まるとき・車線変更するとき、方向指示器で合図してね(オ・ネ・ガ・イ)。 現在、私は歩行者を専門にやってますが、走って来る車がこちらへ曲がるのか、直進して過ぎるのかを判断して、 歩く速さやルートを変えることは多い。ドライバーという人種をまったく信じていないので、 イザというとき逃げられる体勢もとっておかねばならぬ。 だから、周囲に車がいなくても(歩行者のために)、ウインカーを出してよね。

 携帯電話中でレバーを倒せなかった、など、理由があって出さないなら、まだ許せる。 ムカつくのは、“意味もなく出さない”ヤツ。たぶん、「へっ、俺はベテランさ。若葉マークじゃあるまいし、いちいちカッタルくて出せるかよ」 とか、「右側に寄ったら、右折するぐらい分かるじゃん」とか考えているのか。 でも、きちんとマナーを守って、スマートに運転するからベテランじゃないの? それとも、ウインカーを出すと車線変更で入れさせてくれない、とか、イヂワルされるから出さないの? 何で? そんなにメンドウ? カッコ悪い?
──つまるところ、運転者と車体の挙動を察知して、 ターンライトを自動点滅させるような“車載AI(人工知能)”を開発したほうが早いかな……。


【2発目:道でよけない】

 歩道いっぱいに広がって歩いてくる。ダベって、笑っている。互いの顔ばかり見ていて、前を見てない。 このままだと、私と正面衝突。残り3m、2m。相手は気づかない。 あと1m。ビッ・ビー(警報音)、接近! ビッ・ビー、接近!……。しかたなく、こっちがよけて、道を譲ってやる。 当然のように通り過ぎ、会釈の1つもない。
──これ、女子高生や若い衆に限らず、オバちゃん軍団でも、 ええトシのサラリーマン連中(上司&部下か、取引先&担当営業か)でも同様。けっきょくは仲間以外、人間だと思ってないんでしょうね。

 友だちの言葉や反応にはチョー敏感で、浮いたりシカトされることをメチャ恐怖する。 その反面、他人の視線はまったく気にならない。通勤電車で化粧する・飲食する、ところかまわず座り込む……と同根だ。 しかし、ふと考えてみると、日本人はもともと“ムラ意識”が強く、身内とよそ者を峻別してきた(よそ者は人にあらず)。 しかも、“村八分”を恐れ、目立たないよう、意見が違わないよう自主規制してビクビク暮らすのが常だった。 つまり、昔も今も、意識構造はまるで変わってない。 都会で“向こう三軒両隣”の共同体が崩れた代わりに、依存し自己を埋没できる“仲良しムラ”を探しているのでしょうか?
──ま、どーでもいいけど、たまにはお前らがよけろよな!


 

【3発目:ドアが開いてから席を立って降りる】

 列車が停まって、ドアが開く。降りる人がすんで、乗ろうとすると──遅れて1人降りてくる。
乗ろうとした人は後ずさり。さ、よし乗ろう──と、また1人降りてくる。
やれやれ、やっと数人が乗り込むと──それをかき分けて、さらに1人、あわてて降りる……。
こんなウットーしい経験、近頃、多くありませんか?
“親指メール”に熱中していたのか、ヘッドフォン音楽で心頭滅却していたのか、扉が開く“プシュー”音で我に返るまで、 座席から立たないのだ(どうせなら乗り過ごしてしまえ!)。 私らが通学していた時分は、次で降りるとなると、早めにドアの前に進み出て待機し、着けば着いたで一団となって降車したものだが……(追憶)。

 おそらく、パラパラとおもむろに降りることで、電車が遅れるといえばオーバーだが、 人に迷惑をかけている(少なくとも気分悪くしている)など、思いもよらないのであろう。 かといって、車掌に注意してもらうわけにもいかない。 「駆け込みやめろ」、「吊革につかまれ」、「携帯を切れ」、「リュックは手に持て」、「優先席は譲れ」、 さらに、「早めに降りる準備せよ」……あー、BGMのごとく誰も意に介さない、うるさいだけの車内放送がますます長くなる〜!


【4発目:過剰警備とアナウンス】

 今年7月に明石市の花火大会で圧死事故が起きて以来、およそ人の集まるところ、どこへ行っても、警察官とガードマンの動員がすごい。 規制はこと細かで、注意アナウンスもやたら多くなった。 やれ、「前に続いて立ち止まらず歩け」だ、「列を乱すな、はみ出すな」だ、「この通路は危険だから閉鎖した」だ、 「横断歩道は青で渡れ」だ、「車が通過するから危ない」だ、「遠回りでも指定した順路で行け」だ……。 市民を幼稚園児のごとく扱い、いらぬ注意をする“お節介社会”。 これが、“お上への甘え”を生み、“自立した個人”の成育をさまたげる。

 プラットフォームに立てば、「○番線に□□行きが来る」、「黄色い線まで下がれ」、「足元に気を付けろ」、 「すき間があるから落ちるな」、「すみやかに乗れ」、「ベルが鳴り終わったら扉が閉まる」……始終、しゃべりっぱなしだ。 エスカレーターでもエンドレスで、「ベルトにつかまれ」、「黄色い線の内側に乗れ」、「子供の手を取り真ん中に」、 「顔や手を外に出すな」、「もうすぐ終点だ」……ああ、やかましい!

 畢竟(ひっきょう)、警備もアナウンスも、万一の事故が発生したとき、 「ちゃんと対策して、注意を促していました」と弁解する担保でしかない。 利用者を守るのではなく、自分たちを守っているのだ。


【5発目:切れないマジックカット】

 期待していなければ、裏切られることはない。しかし、期待したのに裏切られると、よけい腹立たしい。 心がすさむ。その意味で、「切れないマジックカット」には、極度に神経をむしばまれる……。

 納豆のタレやしょうゆの小パックの端に、「こちら側のどこらかでも切れます」などと書いてあれば、 それが特許で登録商標(旭化成パックス株式会社)の「マジックカット」。 あらかじめ無数の細かいキズを付けてあるから、容易に開封できるという、日本人ならではの“ちま〜い大発明”だ。

 以前は(いまもあるけど)、パックに「1か所だけクッキリとした切れ込み」が入っていましたね。 しかし、これが見せかけだけのマヤカシであることは、ほとんどの方に賛同していただけるのではないでしょうか。 半分近い確率で素直に封を破れない。したがって、力ずくで無理やり引きちぎる。 その結果、3割以上の確率で、シャツや床に焼きそばソースをまき散らす……。

 学習する生物であるから、私は、「1か所のクッキリとした切れ込み」を見ると、 脳の回路が“切れない”という結論に接続され、躊躇せず“ハサミを使って切断する”という行為を起こす。 “とりあえず、力ずくで試してみる”という選択肢はパスするのだ。 つまり、“当初から切れ込みはないものとみなす”よう、刷り込まれてしまったのである。

 だが、「マジックカット」に対しては期待値が違う。マジックカットの名誉(?)のためにいうが、 ほとんどの場合(8割以上)は、心地よく切れる。 ところが、パックの材質のせいか、はたまた、冷凍食品のツユだから寒すぎて変質したのか、ごくまれに切れないことがあるのである。 そのため、ごくまれに“力ずく”になり、ごくまれに“まき散らす”ことになる。
──初めからハサミで切ることにした「1か所の切れ込み」では起きない惨事が、「マジックパック」だからこそ、“ごくまれに”発生してしまうのだ。

 そんな最悪の結末でなくとも、煮えあがったラーメンの鍋の上で、スープの小袋を“いったん手で開けられるかどうか試して”から、 “ダメだと判断”し、あらためて“引き出しからハサミを探し”て、やっとこさ“切る”。
──この約40秒間に、ラーメンは確実にのび〜る!

 「マジックカット」への不信感を募らせながら、のび〜た麺をすすれば、イラ立ちも倍増せざるをえない。 そして、考える葦である私は、“これからは最初からハサミで切ろう”と決意する……。 だから、切れ込みもマジックカットも、“御為倒し(おためごかし)”の親切は不要。 「パックを切るなら、手じゃなくハサミ」
──これが、究極の真理!


【6発目:ミステリーとホラーとオカルトがいっぱい】

 出版不況だそうだが、だからこそ、本は山ほど発刊される。 しかし、出る本、出る本、ミステリーかホラーかオカルトで、束ねると70%(根拠レス)を超えるんじゃない? 出版側にすれば、「売れるから出す」のであろうが、読者としては、「みんなも読んでるしー、肩凝らなそうだしー、ほかにないしー」で買ってるのがホンネ。 しかし、それにしても、そんなに“殺人”が好きなの? よっぽどストレスたまってて、殺したい奴がウヨウヨいるのでしょうか。

 国内で刑法犯(交通事故を除く、殺人・強盗・放火・傷害致死など)による死者は、毎年1,300人前後。 平均すると1日当たり3〜4人も“殺されて”いる! しかし、ミステリーの出版数は年間1千点以上。 その中には、連続大量殺人もあれば、死人が出ない著書もあるだろうが、合計すると、現実の死者よりたくさん殺されているだろう。 それに加えて、ホラー(リングだ、らせんだ)で死ぬ人、オカルト(陰陽師だ、呪詛だ)で葬られる人も相当数にのぼる。
──身の毛もよだつほど膨大な死体の山が、本屋の店頭に築かれている(これこそホラーだ)! マジで尋ねたいが、なぜ“人殺し”の話ばかり読むの(これぞミステリーだ)?


【7発目:日記と自分史ばっかし】

 インターネットをのぞいてみれば、個人ホームページの定番は、「日記」、もしくは、そのスタイルをかりた「雑記」で、 似たようなWebサイトがおびただしく存在する。 日記なんて、1人でつけてりゃいいものを、なんで公開するんだ? ふだん職場や学校で影の薄いヤツの自己顕示欲の発露か? そんなの誰も読まないぞ……と思いきや、アクセスもけっこう多く、「来訪者記帳」に“その通り”、“感動した!”なんて書き込みがあるから、 “同類相憐れむ”者たちのタマリ場か。

 新聞を開いてみれば、出版社が「本にするあなたの原稿募集中」と広告を打っている。 偶然、市井に埋もれていた名文章家や、ユニークな研究者を発掘するケースがあるかもしれない。 しかし、ほとんどは、1枚目で破り捨てたくなるような作文が、全国津々浦々から寄せられるらしい。 出版社は、それらの作者に“自費”出版をすすめ、200万だか300万だかで1千部ほど刷って、それを商売にする。 仕掛けられた「自分史」ブームである。

 作者としては、自分の作品とはいえ、同じ本が家に1千冊もあっては邪魔なので、親戚や知り合いやお世話になった方々にサイン入りで配る。 たいがいは、退職記念の『仕事にかけた半生』だとか、古稀にふり返る『大正・昭和・平成〜我が三代の歩み』といったたぐい。 私も数名の方から進呈をうけたが、どれも表紙すら開いたことがない。 しかし、古本屋にも売れないし、捨てるのも気がひける(あ、いま気づいた! 版元の出版社に送り返してやろう!)。
──すべての事物は、数が増えれば、質が落ちる。インターネットも出版も、この法則下にある。


【8発目:使用済みインクカートリッジ回収】

 カラープリンタで業界トップのエ○ソンが、空になったインクカートリッジの回収作戦を大々的に展開している(カバが大口を開けて、 “お店のボックスへ返して”と呼びかけるCMに見覚えがあるでしょう?)。 だが、企業たるもの、金にならないことに1円でも出すはずがない。 日本中の大手パソコン店に回収箱を設置するのみならず、それをTVで宣伝するとは!
──リサイクルやエコロジーに取り組む企業のイメージアップ戦略? ま、それもなしとはいえないが、最大の狙いは、「補充用インク」の売り上げ拡大を阻止することだろう。

 年賀状を100枚もプリントすれば、すぐに数千円のインクが空になる。 しかも、たとえば、まだ青や赤が残っているのに、黄の1色が切れただけで、 丸ごと取り替えなくちゃならない(他のメーカー製では、1色ずつ交換できる機種もある)。出費も痛いが、資源のムダだ。 そこで、さまざまな会社から、注射器のような容器に入った、単色ごと補充できる「詰め替えインク」が発売されている。 これが、かなり売れているようなのだ(消費者は賢い)。

 しかし、エ○ソンとしては面白くない。実績No.1の我が社のプリンタにへばり付いて儲ける“小判ザメ”だ。 いや、もっと許せないのは、「純正の交換用インクカートリッジ」が売れなくなること。 一般に、純正品は高い。つまり、利益率がいい(古い表現なら“ドル箱”)。 これを横からかすめとる「補充用インク」は天敵である。それを根絶やしにするには…… “そうだ! 空になったカートリッジを、消費者から取り上げてしまえばいい!”。

 小賢しい広告代理店マンが思いついたのか、それを「リサイクル」や「エコロジー」にかこつけてCMに仕立てた。
──“インクカートリッジは資源ですから、回収に力を入れています。 皆さん協力して、地球にやさしくしてね”ちゅーわけだが、待てよ。 ちょっと考えれば、「リサイクル」より「リユース(再利用)」のほうが、ムダもエネルギーも省かれるに決まっとる。 数回はカートリッジを使える「補充用インク」が、エコロジー面でも優っているのだ。ここに、この回収キャンペーンの論理は完全に破綻した。

 また、電力会社は、“地球温暖化の原因の1つ、二酸化炭素を出さない原子力発電所は地球にやさしい”といったCMをたれ流しているが、 ほとんど暴論だ(高レベル放射性廃棄物は、二酸化炭素より環境にいいというのか?)。 およそ、リサイクルやエコロジーを謳い上げる企業のコマーシャルは、ウサン臭さがプンプンしている。


【9発目:シールとテープ】

 通販でショッピングした品物が、宅配便で届く。その梱包は、ベタベタとテープが貼られて、がんじがらめ。 老舗デパートで贈答品を買う。包装紙の隅をテープでとめて、最後にロゴ入りのシールで封をする。
──粘着性のシールやテープが、ありとあらゆる“モノを包む”場面で当たり前になっている……。 だが、以前は違った。百貨店は、ヒモで縛ってくれた(それが高級感だったよね)。 小包も、梱包した上に十文字でヒモをかけた(郵便局員が取り扱いやすいための気くばり)。 そもそも日本には、風呂敷という布で、“包んで縛る”文化があった。

 私は、包装紙や梱包材──たとえば、プチプチのクッション内装の封筒とか、厚めの茶色い紙袋とかを、 きれいにたたんで、けっこうマメにとっておくタチなんです。 何に使うかというと、実は、インターネット オークションが趣味でして、売れた品物を包んで送るのに重宝しております。 ところが、シールやテープは、いくら丁寧にはがしても跡が残ったり、紙が破れたりして、リユースに向かない。 だから、根本的に嫌いです。が、しかし……。

 よくアメリカ映画で、クリスマスや誕生日プレゼントをもらった子供が(いや、大人でさえも)、 その場でリボンを引きちぎり、包装紙をベリベリと大胆に破いて、中身を取り出すシーンがありますよね。 昔から見るたびに、“もったいなー”と憤りつつ、同時に、“あ〜、1回やってみてー”と、背筋がゾクゾクするような快感を覚えたものです……。 いま、シールやテープを慎重にはがしながら、しかし、ちょっとでも包装紙が破れたときは、 アメリカ人のようにダイナミックにタメライなく、“ウヮーオ!”とかいいながら、ビリビリに引き裂いて楽しんでますよ(カ・イ・カ・ン!)。


【10発目:ことわざ新解釈】

 近頃は、「情けは人のためならず」を、“情けをかけてやると、その人のためにならないから、やめておきなさい” との意味に受けとる人が半数近いらしい(非情!)。
また、“ねえ、「可愛い子には旅させよ」っていうじゃない!?”と、 卒業旅行や夏休み海外ホームステイの金を親にせびる子供が大勢いるという(非常識!)。

 元来、ことわざには、どっちともとれる曖昧な表現が多い。有名なところで、「犬も歩けば棒に当たる」は、 “あてもなくブラブラしていると、犬が棒で殴られるように、災いにあう”という意味と、 “ひたすらチャンスを増やせば、ラッキーに巡りあう”という意味と、まったく相反する解釈があるそうだ。

 こうなると、正確な意味を伝えたいのなら、ことわざ自体をアレンジしたほうがいいのではないか、とも思えてくる。 たとえば、「情けは人のためでなく(みんな自分のためなのよ)」とか、「可愛い子だから苦労の旅を(人生強く生きるため)」なんてね。 これはこれで、一種の言葉遊びとして、いろいろ楽しめそうです。

 ところで、私も偉そうなことはいえない。「船頭多くして船山に登る」ということわざ。 これを、“船頭というプロフェッショナルが数多くいれば、船が山に登るという不可能さえも可能にしてしまうのだ!”と、 学生時代は完璧に誤解釈していました(正しい意味は、皆さんご存知ですよね?)。 我田引水だけど、これもこれとて、一種の知的なお遊びとして、面白いといえなくもない。 そう、“ことわざの新&珍解釈ゲーム”!
──皆さんも、オリジナルなのを思いついたら、ぜひ教えてくださいね。


【おまけ:究極のストレス解消法】

 さて、最終回なので、持ちネタを全部くり出したところ、いつもの2倍以上の長さになってしまいました。 書いた私も疲れたけど、パソコン画面で読んでくださった皆さんも、かなりのお疲れではないでしょうか。 ここで、最後までお付き合いいただいた方にだけ、とっておきの“マル得情報”をお教えしましょう!
──それは、「いつでも・どこでも・手軽にできるストレス解消法」! とくに、街でムカつくヤツに出くわして、“MG5”になったとき、これでスッキリ! イライラは雲霧離散し、癒されることまちがいなし!

 必要なのは、いまや誰もが持っている携帯電話1つだけ(PHSでも可)。 これを耳にあて、アンテナをのばし、そして、ムカつくヤツの背後に近寄って、腹の底から思いっきり怒鳴ります。
──「(例)このタワケ! バカヤロ! 間抜け! テメーのようなドアホがいるから、日本はダメになったんだ。 アフガンへでも行って、ビン ラディン(氏)の××でも舐めてろ!」とかね。 もちろん、驚いてヤツはふり向くでしょう。そのときは、目線をそらし、さも、電話の相手と大声でケンカしていたかのように装うのです (ホントに誰かに電話をかけてはいけませんよ。念のため)。
──私の実体験では、これはほぼ確実に成功します(失敗は1回のみ。その場合は逃げる)。そして、ムカつきも相当程度おさまります。

 「でも、ケータイもってない」という方、また、「そのときに限って忘れてきた」という方、ご安心ください。 最近の携帯端末は、手のひらに隠れるほど小型化されています。 ですから、ライターでもハンカチでも握って(または、何もなしでも)、携帯を持っているフリの片手を耳に近づけ、 もう一方の手で口元をおおい、電話機をすっぽり隠しているように見せるのです(以下、怒鳴りつけるのは同様)。
はい、練習してみてください! あ、いいですね〜。 それでは、皆さんも、不愉快な世間を気持ちよく生きるために、勇気を出してお試しあれ!