他人事が他人事ではなくなる

山幡 恭敬

   最終回

その後、その年の7月に吉田が逮捕され、9月に事実上の捜査が終了したとの報道がされるまで、 本当に落ち着かない日々が続いた。 地検の家宅捜索を受けた者は、逮捕される可能性があると聞かされたからである。 特に7月15日の吉田逮捕の前後はストレスが最高潮に達していた頃であった。 確かに直接関与したわけではなかったのだが、公文書に嘘の記載をしてあれば、 それに署名・捺印してある以上、 やはり違反であるのだから我が身に逮捕状が出てもおかしくはないので、変に納得できた。 女房に最低限の着替えとタオルを入れた紙袋を用意させたのもこの頃である。 そして身体にも変調は現れ、血糖値がやたら高くなり同級生の磯村豊司医師のお世話になったり、 「てんけつ」の仇名の由来である、中学2年以来の円形脱毛症にもなったりした。 そして公判が始まり、事実が少しずつ判ってくると、 自分が署名した会計報告書に虚偽の記載は無かったことが明らかになってきた。 吉田の罪は会員の会費を日歯会長が横領するのを助けた事(業務上横領) と自分の選挙区で地区の市会議員、県会議員に票の取り纏めをお金で依頼したという公職選挙法違反であった。

私が関与した政治資金規正法違反には問われなかったのである。

そして昨年3月には彼の罪の情状酌量を証言する情状証人として東京地方裁判所の証言台にも立った。

ここで私は、私が吉田の熱烈なファンでも傀儡でも全く無いと言うことを前提において、 彼の罪を弁明したいと思う。

もちろん彼は裁判官から懲役3年・執行猶予5年の判決を受け、本人がそれを受け入れたのだから、 罪を犯したのは間違いのない事実である。 しかしながらそこに至るまでのTV、新聞などの報道は明らかに裁判で問われていないか、 全く関係のない事柄まで取り上げて、「悪人」に仕立てあげていっていたのは、身をもって知らされた。 また業務上横領も日本歯科医師会の会長が、個人的に次期の会長選挙の資金として貯めるために利用しやすい政治家が吉田幸弘だったのである。 部内的なことであるが、日本歯科医師会の会長から、こうしてくれと頼まれ、断る勇気を私は持ち合わせていないし、 彼の場合は選択の余地はなかったはずである。 また公職選挙法についても、彼が当時の愛知県歯科医師(政治)連盟会長に再三再四、注意したにも関わらず、 連盟会長がどうしても自分で市会・県会議員にお金を渡すと譲らず、 仕方なく渡す時に同席したための結果である。 どうして連盟会長がそれを譲らなかったのかは定かではないが、責任感であったのか、 はたまた自らの立場を議員に誇示するためであったのかは、現在では一切口を閉ざされているのでわからない。 ただ、吉田が政治家としての事務所を立ち上げた一番最初の時に、私に渡したものは、 政治資金規正法と公職選挙法のガイドブックであった。 何が違反になり、どこまでが許されるのか詳細に書かれているものであった。 彼の3度の選挙でも、運動員に選挙違反への注意を細かく指示しているのを何度も見かけていた。 そして会計報告書が適正であったことを兼ね合せると、明らかに違反になるこのような事を、 彼が積極的に指示するとは思えないのである。

彼は渦の中に巻き込まれた小船の一隻にすぎない。
その渦とは歯科医師会であり、まさに諸悪の根源は、私も含めた歯科医師会会員全員にあると断言する。 「歯科医師」という冠を国家から頂戴し、「医師」という冠で少なからず患者よりも上の立場で物を申して日々を送っている者達が集まった会が「歯科医師会」である。 本来ならどこの会よりも厳正に自らを律する姿勢が必要なはずであるのだが、丸2年を経過した現在でも、 そう言う姿勢は上辺以外見当たらない。 その最たるものが事実の説明が全くなされていないことである。 今でも歯科医師会員の中で、吉田の罪状と判決結果を正確に知るものは殆どいない状態である。 中には吉田が1億円を橋本龍太郎に渡したと思っている会員もいる位である。 彼は橋本氏の事件には直接も間接も全く関与していない。 一般の方なら致し方ないかもしれないが、全国に6万人くらいしかいない団体であり、 内部の意思の疎通はたやすいはずである。 では何故このような事が起こってしまうか。 それは事実を会員に伝える努力をしていないからである。 滑稽なくらい、知らんぷりしているのである。 改革すると言い続けてはいるが、何から改革するのか元が知らされていない状況で、 一体どうやって改革するのであろうか?

この事件が始まった頃から、何度も歯科医師会からの脱会が脳裏をかすめたのだが、 現在では脱会しなくて良かったと思っている。 内部からものが言えるからである。 本当に「歯科医師」という冠を頭上に掲げたいのであれば、事実を会員に伝え、猛省して、 会に対してのチェック機能を果たすのは自らなのだという考えに改めなければ、その冠は金メッキどころかただの真鋳にすぎない。 何度も言うが、これは自分自身を含めたことである。

他人事でない事に遭遇した事で、その根本原因を他人事のように考えていたのは、誰でもない自分である事に気づいたのであった。


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