Simple is the Best

元3年H組 小菅 朗

1. 「麻布十番」に移ってきて
 「麻布十番」に移ってきて丸6年になる。阪神大震災の直後、サリン事件の寸前だった。 むろん、激甚な天災や無差別犯罪が引っ越しの動機ではない。仕事上の便宜をはかってのこと。 2ヵ所ある大口取引先の場所を直線で結び、その中間をポイントしたら、 ほぼ現在の住居兼仕事場──麻布十番の賃貸マンションになったわけだ。両社へそれぞれ歩いて10分。 その前は横浜の日吉にいたが、徹夜でしあげた原稿のフロッピィを、早朝、おぼろげな意識で1時間クルマを運転して届け、 それから眠るという日も多かったから、夢のような“職住接近”だ。

2. いまやインターネット時代
 いまやインターネット時代──電子メールにファイルを添付して送ればいいじゃないか、という方もいらっしゃるだろう。 たしかに原稿はそれで済むが、“打ち合わせ”からは逃れられない。 なにぶん、人様の商品を、人様のお金をいただき、人様の代弁者となって広告宣伝する稼業ゆえ、 注文主(クライアント)は絶対的な存在。 フリーのライターとしては、“消費者が神様”なんて思って原稿を書いているのでは、決してない。 “唯一神”はクライアント。その“ご威光”、じゃなくて、ご意向を伺うために、 ご尊顔を拝しながら顔色を窺う“打ち合わせ”は、IT(イットじゃないですよ)革命がすすむといえど ライターに不可避の通過儀礼なのだ。

3. ライターって、どんなの書いてるの?
 「ライターって、どんなの書いてるの?」
 「いえ、ボツ原稿に火をつけて燃やすほうのライターでして」
 「フヒヒ……(ヒキツリ笑い)」
 「いえ、まあ、IT関係の会社の、マイクロソフトとかNECとか富士通とかコンパックとか……(まるで節操なし)。 その新製品の紹介ビデオ、15分ぐらいの構成台本とか。 あと、イベントってやるでしょ、そのステージのナレーション原稿とか」
 「へぇ〜、儲かるでしょ、最近?」
 「おかげさまで、“IT”様さま……(淋しい笑い)。 でも、自営業というか青色申告の個人事業主ですから、限界ありますよ。手仕事ですから」
 麻布十番のマンションは日吉と家賃が同額で、広さはちょうど半分。駐車場は月6万というから、クルマは即座に手離した。 20世紀末ギリギリには、地下鉄営団南北線と都営大江戸線の駅ができて交通至便になりましたし──。

4. 都心にあって“陸の孤島”
 都心にあって“陸の孤島”といわれていた麻布十番に地下鉄が2路線開通したことは、首都圏では大々的に報道されたが、 中部エリアではどれほど知られているのだろう。 そもそも麻布十番ってどこ? という声も聞こえてきそうだ。

5. 江戸期は、落語『黄金餅』の
 江戸期は、落語『黄金餅』のコンビニエンスな火葬場(木蓮寺)がある、寺と墓の多い場末。 幕末安政6(1859)年には、ハリスが麻布山善福寺にアメリカ公使館をおいた(この寺には福澤諭吉や越路吹雪の墓もある)。 戦後は、オーストリアや韓国、中国など大使館が次々と開かれる一方、江戸情緒の残る庶民的かつ伝統的な商店街 ──だから保守的かつ排他的で、いまだに表通りにコンビニがない。 しかし、「麻布十番温泉」という山手線内で唯一本物の温泉がある。 そして、世界各国の人々が往来するだけでなく“居住している”街でもある── まったく脈絡のない紹介だが、「国際性」とのテーマから、先日、飲み屋で知りあったアメリカ人女性(もちろん美人)の話に、 強引にもっていく。

6. 彼女──ジェシー(仮名)は
 彼女──ジェシー(仮名)はアイダホだかアイオワだか、ようするにアメリカの田舎から留学している21歳。 興味があるのは「禅」だか「俳句」だか、ようするに日本の摩訶不思議な精神性。 数年の研究の後に「道元のホモセクシュアリティ」だか「芭蕉と曾良の同性愛的嗜好」だか、 ようするに怪しい論文を書いて奨学金をゲットしたらしい。 そのジェシーの来日3ヶ月目の嘆きである──。

7. ワレ、故郷の知己にネンガジョーを
 「ワレ、故郷の知己にネンガジョーを送らんと欲するに、ジャポニズム爛漫たるビューティフォ&クールな一品なく、 はなはだ困惑ス」
 なるほど。富士山、浅草雷門、新宿高層ビル群などのカラー写真カードは売っていても、いかにも観光客向け。 自称・日本通のジェシーは自尊心が許さないのだろう。
 「或イハ、日本にヲイテもクリスマス カードは種々多し。シカルニ、ワレ、これをいぶかる」
 そうですね。キリスト教徒でもないのに、クリスマスを飾り、騒ぎ立てる輩のいかに多いことか。日本人でもないのに、 したり顔で禅や俳句を語る輩と同レベルである。
 「ナホモッテ、ネンガジョーも、巧言令色少ナシ仁」
 よく意味がわからないが、印刷屋店頭のカラフルでギラギラした年賀状見本に、ジェシーの美意識 ──“Simple is the Best”は満足しないらしい。
 「でも、私は見つけました! これぞ、日本人のワビ、伝統のサビがソコハカとなく漂う、美しい年賀状です」
 といって、彼女がとりだしたハガキは、墨一色で印刷され、灰色の縁取りが付いていた。 ──そういえば、水墨画の枯淡の味わいに満ちたカードといえなくもない。
 「ここには、父または母の名前を入れるのだそうです。そして、年齢も。祖先を尊ぶ儒教の伝統精神がここに脈打っています。 私は、現代に生きる日本文化を発見しました」
 どうやら、何を早合点したか印刷屋の主人が、懇切丁寧に「服喪欠礼ハガキ」の様式を説明したようだ。 きっと「享年」といっても通じないとみて、「歳を入れるんだ」などとはしょったに違いない。  「いまごろ、私の両親はこれを手にして、喜んでいるはずです」
 おいおい。やっぱり両方とも生きてるよ。そのほか、いったい誰と誰に送ったんだ。
 「オフ コース! お世話になったすべての人々です。両親はもとより、祖父母、親戚一同、教師、親友、パリにいる恋人。 それに、日本で巡りあった同級生全員。ぜんぶで250人以上です」
 それはそれは。新学期になったら、たくさんのお悔やみの言葉をもらうだろう。 それもジェシーは、“神妙な顔つきで新年を寿ぐ日本の伝統精神”とか解釈するのだろうか。