32年前の21世紀ビジョン

小菅 朗(元3年H組)

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 金メダルと銀メダルではありがたみが5倍は違うように、21世紀も2番目の年 となると誰も騒がない。しかし、たとえば2037年(生きてるかな?)といった中途ハンパな普通の年でもないので、 「まだ新世紀は始まったばかり!」と、(意味もなく)初々しい気分になれる。少年のような輝かしい希望も (根拠はないが)多少はもてる。そんな2002年、あけましておめでとうございます

 年頭に当たり、突然ですが、「32年前」というハンパな過去を振り返ってみたい。はい、 1970(昭和45)年、ぼくらが小学校から東海中学へと進学した年。子供時代にサヨナラする、最初の一歩を踏み出した春。 世間では、よど号ハイジャック、三島由紀夫割腹、ウーマンリブ、ヘドロ公害、光化学スモッグ……。そして、大阪で 万国博覧会が開かれた年!

 3月15日(日)に開幕した万博を、私は父につれられて3月23日(月)に早くも見にいった。 なんでそんな詳しくおぼえてるの、と問われれば、実家の押し入れのダンボール箱から、 こんな手づくりの「見学記」を発見したからだ。表紙をめくると、 入場券迷子ワッペンが貼りつけてあるし、 エンピツ書きの作文まで綴じてある (かなり恥ずかしい)。裏表紙は「太陽の塔」のイラストだ(たぶん写真の模写)。 それに、公式ガイドブックや会場でもらった パンフレットも大量に出てきた(なかなかの“お宝”でしょ?)。

 ご存じのとおり、「人類の進歩と調和」が万博のテーマだったが、当時の“進歩”とは何であったか、 こうした資料を読んでいると浮かび上がってきて、実に興味深い。 いえ、現在の視点で歴史(もう、レッキとした“歴史”だ)を断罪するつもりはないし、すべきでない。 しかし、もし私たちが、いま大きな針路転換を迫られているなら、出発地をふりかえることは無意味ではないだろう。

 その“進歩”とは、ざっくりいえば、 大きく・強く・高く・長くといった、万人が実感できる、“重厚長大”的な拡張である。時速500kmの リニアモーターカー宇宙都市海底都市動く歩道超高層ビルオートメーション住居、完全機械化農業、 全国超高速交通網、巨大タンカーなどなど。 これらの実現をめざして邁進する男たちの血と汗と涙が、以来30年も流されてきたわけだ(『プロジェクトX』のように)。

 ここには、「高いカネ払って、30分ばかし早く着いてどうする?」、「誰が海の底に住みたいか?」、 「そんな高速道路、車の数よりクマのほうが多い」などなど、“ヒネた視線”、“さめた見方”、つまりは、 みんなと一緒になって熱狂しない“大人げ”がない。国民が一致団結、同じ目標に向かって疑いをもたず (もったとしても押し殺して)、“絵に書いた未来”へ全力疾走したのだ(“聖戦完遂”と同根よね)。

 さらに決定的に欠けているのが、“情報化”すなわち“デジタル化”の観点。なんでもかんでも 機械式でやろうとする。ボタン、スイッチ、レバー、モーター、リレー、ギア、ベルト、クランク……。まるで 宮崎駿のメカ世界だ。むろん、時代の制約がある。インテルが世界初のマイクロプロセッサ(i4004)を発表するのは翌1971年だから、 パソコンの影も形もない。ようやく大型汎用電子計算機が、銀行や一部の大企業で導入されだした時期だろうか。

 しかし、というか、だからこそ、 コンピュータは、会場のいたるところで喧伝されている。古河パビリオンの愛称は、“コンピュートピア”。 Computer+Utopiaとは、いまでは大らかすぎて微笑ましくなる造語だ。IBM館では、“夢の世界一周旅行”をコンピュータがかなえてくれた。 と、いっても、訪ねたい都市をボタンで選ぶと、コースと旅費をプリントアウトしてくれるだけのもの。 どこが“売り”なのか、ずっとわからなかったが、「IBMが開発した漢字印刷装置試作機」のデモンストレーションであったと、 32年ぶりにやっと納得(わざわざハンコが手で捺してある)。

 あるいは、サンヨー館。 1つのモニタに、テレビ番組・16ミリ映画・テレビ電話が映り、カセットテープ・ビデオテープ・ファックスが1か所で制御できる 「未来の万能テレビ」を誇らしげに陳列している (全部アナログだ)。 おいおい、ビデオテープはまだしも、16ミリ映画って、未来の家庭にあるのか? カセットテープは「旺文社カセットLLスーパー」で知って斬新だったが、こんな仰々しい装置の前で聞くものか? 勘違いもはなはだしい。

 勘違いといえば、ソ連館だ。 科学的社会主義を西側にプロパガンダする最高のチャンスととらえ、4冊パンフレットをくれた。 “親愛なお友達のみなさん!”という呼びかけで始まる、80ページはある『ソ連邦』という冊子(細かいことだけど、“親愛なる”でしょうが)。 “社会主義の芸術は人々の心を高潔にする”と謳う、『芸術は人民のもの』。 宇宙開発技術をたいそう自慢する『人間のための科学』(それが、まさか、宇宙観光やCM撮影に利用されるとは)。 そして、『LENIN』は、“His Life and Work”を全文英語で紹介した小冊子だ。こんなもの、12歳のガキに配ってどうするんじゃ? なにより最大の勘違いは、国自体がなくなってしまったことだろう。

 さて、32年後……。努力と鍛錬の職人技によって磨き上げたメカニズムで、日本は世界一になった。だが、 デジタル技術の進化と浸透は、予想をはるかに超えた。科学とかテクノロジのパラダイムがまったく変わってしまったのだ。 また、橋を架け、道を拓き、トンネルを掘って、国土を平らにした。しかし、人口や産業は偏り、水や空気はよどみ、借金大国が完成した。 成長や発展という概念そのものが壁にぶつかっている。人はいつも、現在の延長線上にしか未来をビジョンできないのだろうか。

 急に私事になるが、万博の春、父は42歳だった (その年齢をぼくらはすでに越えてしまったとは、パラドキシカルな感覚におちいる)。 「家族にもピークがある」と書いたのは、向田邦子だったろうか。中学に入ると、両親との家族旅行など照れくさくていかなくなった。 万博のころが我が家のピークだったと、たしかに思う。そして、ひょっとしたら、 「国にもピーク」があって、それもやはり32年前あたりではなかったか。その後、緩急いろいろなアップダウンがあったけど、 再びピークを極めることは、もはやないのでは? このまま衰退の一途なのか? ……でも、それでいい。 せめて品良く、美しく枯れていければ、と、心底、願っている。

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 余談ですが、6月23日(火)には、 東海中学1年生がまとまって、学校行事として万博を見学にいったようです。
その際の「万国博見学について(1年)」という、手書き・ガリ版刷りの紙も、今回、発掘しました。 これがなかなか懐かしくて楽しいので、どうぞご覧ください。
「持ち物」には、「オヤツ(ガム、かんづめは禁止、ジュースかんはよい)」とか、「小遣は1,000円以内」とか、こまごまと厳しい。 「歌集」ってあるけど、なんだ? バスの中で唄うためか? どんな歌が載ってたっけ?
さらに、「注意事項」では、「乗り物はモノレール・動く歩道以外は禁止」、「エキスポランドは禁止」、 「会場内での飲食物は一切買わない(土産物は除く)」とある。TDLやUSJへ修学旅行にいく昨今とは大違いだ。
 また、「ナイフは持参しないこと」なんて注意書きも。ブッソウやな〜、中1でナイフもってる奴いたんか? このへんは、現代と同じか。
締めのことばは、「あらかじめよく研究し、有意義に見学しよう。」……では、皆さん、有意義な1年を!